「ひまわり」や「夜のカフェテラス」などで有名なフィンセント・ファン・ゴッホの考察サイト。

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一度は見たいゴッホのこの絵画

ゴッホの作品は、ゴッホの遺族がオランダに作品を寄贈・管理をしている「ゴッホ美術館」と、ゴッホ死後、ゴッホ作品のコレクションを熱心に行ったクレラー・ミュラーが管理する「クレラー・ミュラー美術館」が多い。

※作品をクリックすると拡大表示でご覧いただけます

ゴッホ美術館蔵(オランダ・アムステルダム)

ジャガイモを食べる人々

じゃがいもを食べる人々

ゴッホにとっては初めての構成画となる本格的作品。この作品を仕上げるまでに農夫の顔や手や指の動きのデッサンを数多く行った。ゴッホ自身は出来栄えに満足したが、弟テオからは暗い色調はパリでは時代遅れだと批判されたという。ゴッホにとって初めての構成画となる本作はかなり貴重である。

黄色い家

黄色い家

「アトリエ兼住居を借りた。外壁は新鮮なバターのような黄色で門扉はどぎつい緑色」テオに手紙を書いた。ゴッホは手前建物の右翼部分に9月から住んだ。耳を切ったゴッホが発見されたのはこの建物の2階である。ちなみにこの建物は第二次世界大戦で焼失し現存していない。2件先には「夜のカフェテラス」も見える。

ゴッホの寝室

ゴッホの寝室

ゴッホが絶対的休息を表現した一枚で自分自身の寝室。「色彩の単純化によって事物にもっと大きな風格を与え休息あるいは睡眠が暗示されなければいけない」とこの作品について評した。ちなみにこの作品はゴーギャンとの共同生活破綻後に2枚の複製を行い計3枚存在する。

花咲くアーモンドの木

花咲くアーモンドの木

産まれたテオの子どもへ記念に贈った作品。この頃のゴッホは療養院に入院し、たびたび発作が起こり体調が芳しくなかった。そのためサン=レミ時代の作品はゴッホの精神を象徴するかのような作品が多いが、この作品は空の青さと花のピンクの対比が美しく仕上がっている。

カラスの群れ飛ぶ麦畑

カラスの群れ飛ぶ麦畑

これまでゴッホの絶筆(最後の作品)とされてきた作品。ゴッホの手紙により7月初旬にこの作品についての記述と思われる箇所があることから最晩年の1作ではあるものの絶筆の可能性は低い。映画「炎の人ゴッホ」でこの絵を描いた直後に自殺するシーンがそれを助長させたのであろう。

クレラー・ミュラー美術館蔵(オランダ・オッテルロー)

花咲く桃の木(マウフェの追憶)

花咲く桃の木(マウフェの追憶)

テオからアントン・マウフェが亡くなったと聞き、思わずこの作品に「マウフェの追憶」と書き記したと言う。マウフェはハーグ時代の絵画の指導者だが、娼婦シーンとの同棲をきっかけに関係が悪化した。空の青色とモモのピンク色の対比が美しい1枚である。

夜のカフェテラス

夜のカフェテラス

ゴッホが三日三晩、昼に寝て夜に描いたと言う大作。黒を使わずに描いたという夜空はテラスの灯りと対比して美しい色彩を放っている。ゴッホは1888年9月までこのテラスの2階に住んでいた。ゴッホ作品でもっとも有名な作品のひとつ。

ラ・ベルスーズ(子守女)

ラ・ベルスーズ(子守女)

ゴッホが「ラ・ベルスーズ」と名付けた子守女の肖像画。モデルはアルルの友人ジョゼフ・ルーランの妻で産まれたばかりの赤ちゃんの子守をしているルーラン夫人。この作品は耳切り事件の直前に描かれはじめ、病院から帰りこの作品を仕上げた。実はこの作品は「ひまわり」と重要な関係性がある。

糸杉と星の見える道

糸杉と星の見える道

クレラー=ミュラー美術館が誇るゴッホの代表作品。ゴッホ独特のうねりの筆致と厚塗り、サン=レミ時代にもっとも描いたモティーフ「糸杉」が画面を分断している構成、前の人物2人と後ろには馬車の謎。まさにもっともゴッホらしい作品のひとつであるといえる。

オルセー美術館蔵(フランス・パリ)

ウジェーヌ・ボックの肖像

ウジェーヌ・ボックの肖像

ウジェーヌ・ボックはアルルで知り合った画家兼詩人。ゴッホは「詩人」を色彩で表現しようとし、背景をウルトラマリン色を選び、星を描いた。テオへの手紙に「最初は忠実に再現するが、途中で僕は自由な色彩画家となり気ままに表現する」と書いた。また「肖像画がもっと描きたい。肖像画こそ僕の本望だ」とも語っている。

ローヌ川の星月夜

ローヌ川の星月夜

ゴッホはアルル時代にもっとも描きたいモティーフのひとつに『星空』をあげていた。「夜は最も強い色合いの紫・青・緑の染まり昼間よりさらに豊かな色彩があるように感じられる」とテオへの手紙に書いた。そして9月29日手前、実際に夜のローヌ川まで出かけて行きこの作品を描いた。

ガッシェ医師の肖像

ガッシェ医師の肖像

1890年5月サン=レミからオーヴェル=シュール=オワーズに転居し、この作品のモデルのガッシェ医師に診てもらうことになった。ゴッホは彼に「僕と同じ憂鬱症」の気を感じ取り愛着を感じたという。作品にもメランコリックな表情が見て取れる。ガッシェ医師がこの作品を気に入り複製したものがもう1つある。

その他

タンギー爺さん

タンギー爺さん

日本趣味に傾倒したゴッホが浮世絵を背景にして描いた肖像画。基となった浮世絵は特定されている。タンギーとは絵の具や画布を取り扱う画材屋を営んでいた。たびたびテオへの手紙にタンギーは言及されており、「もし僕が長生きしたらタンギーのようになるだろう」と語った。

ひまわり

ひまわり

ノイエ・ピナコテーク蔵の「ひまわり」を基に背景を黄色にして「ひまわり」を描いた。時期はほぼ同じだが、手紙によるとこちらの「ひまわり」が若干後である。東京にある「ひまわり」はこれを模写して描かれたもの。「ひまわり」の考察に関しては代表作「ひまわり」は複数あった!を参照。

ひまわり

ひまわり

ゴーギャンのために部屋を「ひまわり」で装飾しようと考えたゴッホ。最初に異なる構図の「ひまわり」を3点描いたが、この作品が一番気に入ったと語っている。ゴッホと言えば「ひまわり」だが、この作品がこの構図で一番最初である。「ひまわり」の考察に関しては代表作「ひまわり」は複数あった!を参照。

ドービニーの庭

ドービニーの庭

ゴッホが「悲しみをあるがままに表現した」作品3点の中の1点。最晩年の作品で日本のひろしま美術館にこの作品の複製画が保管されている。「ドービニー」とはゴッホが敬愛したオーヴェルに住んでいた画家のひとり。筆者がゴッホ作品の中でもっとも好きな作品である。詳細は2作の「ドービニーの庭」の比較を参照。

ラ・ムスメ

ラ・ムスメ

日本趣味に傾倒していたゴッホは、日本に行った手記であるピエール・ロチの「お菊さん」を読んだ。その中で「ムスメ」とは『口をおちょぼ口にした12〜14歳くらいの女の子』と説明している。それを知ったゴッホはさっそくアルルの少女をモデルに「ムスメ」風にアレンジした。「ラ・ムスメ」というタイトルが微笑ましい。

夜のカフェ

夜のカフェ

上記の「夜のカフェテラス」の店内を描いた作品。ゴッホはこの作品で「カフェ(当時の居酒屋)とは人がとかく身を持ち崩し、狂った人となり、罪を犯しやすいところだということをを表現しようとした」とテオへの手紙に書いた。「夜のカフェテラス」に続き夜に制作した。

星月夜

星月夜

発作後サン=レミで療養中に描いた作品。ゴッホの代表作の一枚である。ゴッホ晩年のエス字型うねりの筆致がふんだんに見られる。糸杉にうねる星空、ゴッホは実際にこのモティーフをどのようにとらえていたのであろうか。この背景は映画「ミッドナイト・イン・パリ」に使用されたことでも知られる。

坊主(ボンズ)としての自画像

坊主(ボンズ)としての自画像

アルルに来るゴーギャンとの友好のしるしとして「自画像」を相互に贈り合うことになり、ゴッホはこの作品を贈った。「自分の個性を誇張して、むしろ永遠の仏陀の崇拝者である坊主の特徴を追い求めた」とゴーギャン宛の手紙に書いた。ゴーギャンとの共同生活破綻後、ゴッホはこの作品の右上部分を傷つけ、ゴーギャンが修復した。

ゴッホの生涯の考察

もっとゴッホを知りたい方へ

ゴッホ.jp管理人 Yoshiki.T

ゴッホの筆致に魅力され独学で研究。大阪でデザイン事務所を経営する傍ら、ゴッホが関連する企画展は日本中必ず観に行く。国内のゴッホ研究の第一人者大阪大学教授圀府寺 司教授を尊敬している。おすすめはひろしま美術館の「ドービニーの庭」

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