ゴッホが本格的に画家になろうと決意したのが1880年(「ゴッホの生涯考察(画家としてスタート)」参照)。はじめは独学で素描やスケッチをしていた。
その頃故国オランダでは「ハーグ派」と呼ばれる一派が台頭していた。ハーグ派とはオランダ・ハーグを拠点とするありのままの風景や人々、動物などを描いた写実主義の一派である。
そしてハーグ派の中心的人物アントン・マウフェはゴッホの義理の従兄弟であり、彼はマウフェを頼りハーグに移った。
ゴッホの原点はこの「ハーグ派」である。
ハーグ派はバルビゾン派の影響を大きく受けている。バルビゾン派とは1830年代フランスのバルビゾン村に居を構え、自然をありのままに描いた一派でゴッホはバルビゾン派のミレーやドービニーを敬愛している。1860年代にバルビゾン派と同じようにハーグに居を構え、自然の事物を素早く描いた。アントン・マウフェ、イスラエルス、メスダッハ、ヤン・ヘンドリックなどがハーグ派であり、ゴッホは手紙に彼らの名前をたびたびあげ、南仏アルルに行ってからも敬愛の念は変わらなかった。
ハーグ派は暗い色調が特徴で濃紺色や灰色を使うことを好んだ。これはバルビゾン派と同様暗い色彩を使うことによって農民の生活を表現しているためである。
ゴッホはハーグ派のマウフェの指導を受け暗い色彩を使った農民や静物の絵を数多く描いた。そしてその集大成が「じゃがいもを食べる人々」である(「ゴッホの暗い色彩の作品」参照)。しかしすでにパリでは明るい色彩を好む印象派が台頭しており、パリに住む弟のテオはゴッホの暗い色調を批判した。
ゴッホ.jp管理人 Yoshiki.T
ゴッホの筆致に魅力され独学で研究。大阪でデザイン事務所を経営する傍ら、ゴッホが関連する企画展は日本中必ず観に行く。国内のゴッホ研究の第一人者大阪大学教授圀府寺 司教授を尊敬している。おすすめはひろしま美術館の「ドービニーの庭」